3歳から4歳途中まで、ダービーS、フォーテスキューS、クラレットSなど10戦無敗で通すが、続く2戦は続けて2着に敗れ、休養に入った。
5歳時は出走せず、6歳になって復帰戦のキングズプレートに168ポンドを背負って勝利する。しかし、その後は7連敗を喫し、ハ行を発症して引退した。通算20戦11勝2着5回。
英での種牡馬生活では、クラレットS、ジョッキークラブプレートに勝ち、その後ロシアで活躍したGrey Diomed(1785)、更に娘の仔から6頭のクラシックウィナーを出した。しかし、産駒は気性に問題があるものが多かったため先細りとなり、21歳の時に売却され、米に渡った。
米では期待に答え、Sir Archy、Haynie's Mariaを始め多くの名馬を出した。繁殖で成功したものも多く、American Eclipseや
Lexingtonもこの父系から出ている。10年間の種牡馬生活の後、米競馬界の英雄として惜しまれつつこの世を去った。