父Phalarisは距離に限界のある馬だった。
そこで彼ののスタミナを補うため、ステイヤーでスタミナに富む母を
配合して生まれた馬の1頭がPharosである。
もちろんこういった配合は大体が失敗に終わるが、生産者である
第17代ダービー卿は不思議と成功している。
Pharosは英ダービーこそ2着だったが
3歳時は2000メートルまでなら同世代で最強という評価だった。
1926年にイギリスで種牡馬入りするが、5年後に
全弟のFairwayが種牡馬として加わったためフランスにお払い箱になる。
競争成績はFairwayの方が上であり、競合を避けたものだろう。
だが、もしPharosがフランスに渡らなければNearcoは誕生しなかったかもしれない。
なぜならNearcoの生産者であるフェデリコ・テシオ氏は
イタリアの生産者であり、果たして繁殖牝馬をわざわざ
海の向こうまで運んだか疑問だからである。
// アフェー
03/04/28(月) 15:03
|