1986年3月25日、米国・
ケンタッキー州ストーンファーム Stone Farmに生まれる。当初Arthur Hancock III アーサー・ハンコック3世の持ち馬だったが、セリでCharles Whittingham チャーリー・ウィッティンガム調教師の目に留まりErnest Gaillard アーネスト・ゲイラード医師と共に購入、2〜4歳まで米国で走り通算成績14戦9勝・2着5回、連対率100%。
主な勝ち鞍にサンタアニタダービー(米G1・ダ9F)、ケンタッキーダービー(米G1・ダ10F)、
プリークネスS(米G1・ダ9.5F)、スーパーダービー(米G1・ダ10F)、BCクラシック(米G1・ダ10F)、カリフォルニアンS(米G1・ダ9F)。
1989年には
エクリプス賞年度代表馬・最優秀3歳牡馬セン馬をダブル受賞
父は大種牡馬
Halo、母
Wishing Wellは12勝を挙げていて
Mahmoudの4×5のクロスを持つ。
2歳時は3戦1勝、3歳になり2戦目のサンフェリペHで重賞を初制覇すると、サンタアニタダービーも
Flying Continentalを11馬身ちぎって圧勝。次走は3冠第一弾のケンタッキーダービーで1番人気は良血馬
Easy Goerだったが、結果は
Sunday Silenceが2馬身つけ2.05.0のタイムで快勝、続く第二弾
プリークネスSでも2番人気に甘んじたが直線の叩き合いを制して1.53.8でハナ差優勝。
Seattle Slew以来12年ぶりの3冠馬が期待されたベルモントSでは、やっと1番人気に支持されたが
Easy Goerの雪辱に喫し8馬身差で2着と敗れた。1戦挟んでスーパーダービーで
Awe Inspiringを6馬身差離す圧勝すると、次走のBCクラシックには
Easy Goerも出走してきて再度対決する事になった。またも2番人気だったが
Easy Goerをクビ差退け、レコードタイムの2.00.2で優勝。この勝利で年度代表馬は決定的になり最高の結果でシーズンを締めた。
4歳の2戦目
ハリウッド金杯は後に1990年のベストレースと称され、圧倒的1番人気で臨んだ
Sunday Silenceを後の年度代表馬
Criminal Typeが頭差下すレースとなった。
調教中に負傷しそのまま引退、吉田善哉氏が全権利を購入し輸入、1991年から日本・社台スタリオンステーションで種牡馬生活を始めた。その後、毎年のように名馬を送り出し日本の競馬界に語り尽くせない程の影響を与え、1996年には名誉の殿堂入りしたが、2002年8月19日に蹄葉炎が原因で衰弱性心不全により死亡。
日リーディングサイヤーを1995年から連続受賞中