1942年英国、Sir Eric Ohlson エリック・オウルソン卿が前年に牝馬を購入した際、既にお腹に宿っていた仔が生まれた。Matthew Peacock マシュー・ピーコック調教師の下に預けられ、2・3歳の間走り9戦8勝2着1回とほぼ完璧な競走成績だった。
Danteという馬名の由来は、中世のイタリア詩聖Dante Alghieri
ダンテ・アルギエリより。
主な勝ち鞍に、英ダービー(英G1・芝12F)・ミドルパークS(英G1・芝6F)・コヴェントリーS(英G3・芝6F)
唯一の黒星は英2000ギニー(英G1)2着。
父は14戦全勝の名馬でもあり大種牡馬
Nearco、母は長距離を4勝した
Rosy Legendで
St.Simonの5×5×5、St.Serf5×5のクロスを持つ血統。半兄に
Harroway全弟には愛ダービー馬
Sayajirao。
2歳時はデビュー戦から数えて6戦全勝、合計25馬身もつけ圧巻のままシーズンを終えました。
その年のフリーハンデでは
Court Martialを抑えトップハンデを得ました。
3歳になりクラッシク大本命と評価されながらも、一冠目英2000ギニーでは1番人気に応えられず調教中の軽傷が影響したのか
Royal Chargerは抑えるものの
Court Martialをかわせずクビ差2着でした。二冠目英ダービーは、2分26秒6という英ダービー最速タイムを記録し2馬身差で栄冠を勝ち取りました。三冠目英セントレジャーも確実視されましたが回避、そのまま引退してシークストン・スタッドTheakston Stud で種牡馬入りしました。
2000ギニー前の軽傷が原因で失明しながらも「盲目の種牡馬」として産駒を送り出すも1956年9月16日、心不全で死去しました。
代表産駒に二冠馬
Darius、英オークス馬
Carrozza、ミラノ大賞典勝ちの
Toulouse Lautrecを始め、幾多の名馬を送り出しました。
また母の父としても
Tudor MelodyやSherluck、
Sir Ribot、
Homeric、
Pantheonを送り出しました。