TTGの一角。中距離では絶対の強さを誇った。特に4歳秋の神戸新聞杯(2000m)では当時2分を切ることは至難の業であったところを1分58秒9という超絶時計で圧勝した。また、G1馬6頭立てとなった宝塚記念(
テンポイント、
グリーングラス、
クライムカイザー、
ホクトボーイ、アイフルが出走)でも見事に逃げ切りを演じており、2200mくらいまでなら無敵。今のように1600m以下のレースが整備されておれば
トウショウボーイの評価はさらに上であったであろう。しかし3200mの天皇賞では
ホクトボーイに、3000mの菊花賞では
グリーングラスに、そして引退レース2500mの有馬記念では
テンポイントに一歩譲るように距離が伸びるとやや信頼性に欠くようである。これは産駆にもいえることで主にマイル以下の距離で活躍する子供が多い。惜しくも1992年に死亡してしまったが、三冠と天皇賞を勝った
ミスターシービーをはじめ、安田記念の
ダイイチルビー、マイルCSのパッシングショット、桜花賞馬
シスタートウショウ、
アラホウトク、朝日杯3歳Sの
サクラホクトオーなど外国からの輸入種牡馬全盛の時代にもかかわらず優秀な子供を送りつづけた功績はその輝かしい競争成績と同様に素晴しかった。