1680年生まれ、1705年死亡。以下、バイアリーターク物語(^^) イギリスのバイアリー大尉がハンガリーのブダペスト近郊で捕獲したとも、ウィーンで捕獲したとも言われている。当時は、オスマン・トルコがヨーロッパ諸国を脅かしていた時代で、バイアリー大尉も義勇軍を率いて、対オスマン帝国の戦いに参戦していた。そんな中、1687年、敗走するオスマン軍からバイアリー大尉がこの馬を奪取した。1690年には、アイルランドでのボインの乱の鎮圧バイアリータークに騎乗し向かい、偵察の最中、敵に包囲されたが、バイアリータークの素軽いスピードで難なく突破したと伝えられる。バイアリータークはその後、バイアリー大尉の生まれ故郷で種牡馬となった。今に伝わるバイアリータークを描いた絵画から察するに、全身、白微一つ無く、黒鹿毛の立派な馬であったと思われる。また、気性の素直さやその豊かなスピードはつとに有名。種牡馬当時、バイアリータークは相手牝馬に恵まれたわけではないが、それでも、その中からジッグが登場。ジッグ〜パートナー〜タルタル〜ヘロドと言う流れが成立したわけである。
// sman 00/04/24 (月)09:22
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