所属厩舎:荒尾・福島幸広
馬主:東大森新
生産者:門別・高藤繁
生年月日:1997年4月9日
通算成績、主な勝ち鞍:13戦12勝、楠賞全日本アラブ優駿、九州馬力杯ほか。
血統背景:アラブ血量は28.51%。母母父はサンコオーテツト(その父フルヒカル)、3代母はヒカリトウザイ(父:スカレー、母:イナリトウザイ)、父トライバルセンプーの母母父は久艶(父:ヒエン)でファヘッド系。とあらゆるアラブ系統が集まっている。また、インブリードではライジングフレームの4×5・5・7、ニーフアンの5・6×7、ファヘッドの6・7×6・8、エルワルドの7・8×7・7・7・8などアラブならでは。母系内のみに方景(ホウケイ)、バラツケー、ギドラン四二ノ三のインブリードがある。
その他:800mのデビュー戦で2着に3秒差をつけて圧勝した「荒尾の超特急」。以降も他馬を寄せ付けないスピードで、旧3歳時は6戦6勝レコード5回と言う戦績を残した。明けて旧4歳時も順調に勝ち星を積み重ね、陣営は園田遠征を決意。直前のミルクカップ(1500m)では2着に2.9秒差をつけて園田へ向かった。楠賞では初めての長距離が嫌われての4番人気も、快速で先手を奪い、追撃してくる他馬をねじ伏せて全国タイトルをもぎ取った。その後は一時休養を取ったが、8月の九州馬力杯で再度2.3秒差の圧勝。もはや荒尾に敵はなく、どこまで勝ち続けるか、古馬になったらもっと強くなるのか、と周囲が期待をしていた矢先に事故は起こった。2000年9月9日のオーロラ特設、3・4コーナー中間点付近で故障を発症し最下位入線。左第3中手骨骨折で、命に関わる大怪我だった。が、辛うじて一命を取り留め種牡馬として再出発し、最後のタマツバキ記念馬・フジノコウザンを送り出した。が、しかし、アラブ競馬衰退の情勢の中、種牡馬と云えども安泰ではなかった。供用停止、そして06年ごろ、死亡したと伝えられる。
// 悪徳商人 07/06/13 (水)09:04
|