3歳時、4歳時も幾つかのステークスを勝ち、好成績を収めたが、最も華々しい活躍をしたのは、5歳の時であった。
5.5fや7fでのレコード勝ちから、スプリンターと見られていたが、徐々に距離を伸ばして行き、サンカルロスHでビル・
シューメイカーにサンタアニタの全ステークス勝利をプレゼント、サンアントニオH、サンタアニタHを快勝、アメリカンHをレコード勝ち、
ハリウッド金杯は134ポンドを背負って勝ち、1971年の古馬チャンピオン・チャンピオンスプリンター・年度代表馬に輝いた。
通算27戦19勝2着6回。他にウィザーズS、アーリントンクラシック勝ちが有る。
種牡馬としては、50頭以上のステークスウィナーを生んだ。代表産駒は、
Broad Brush、仏ダービー馬
Youth、トリニダード・トバゴのチャンピオンAckstaticなど。
Benny the Dipの母の父でもある。