雄大で見栄えのする馬体の持ち主であったという。2歳時は、デビュー戦で惨敗した後、クリアウェルSを楽勝。3歳時は、ダービー4着、セントレジャー6着とクラシックでは振るわなかった。スピードが勝っており、気性も荒く、距離をもたせるのに苦労があったようだ。それでも、ニューマーケットSでは後のダービー馬
Beadsmanと1着同着、アスコットビエニアルSでは2,000ギニー勝ち馬馬FitzRoland、後のセントレジャー勝ち馬Sunbeamを破っている。3歳いっぱいで現役を退いた。通算9戦5勝。
引退後は渡米し、主に
ニューヨーク、ニュージャージーで種牡馬生活を送った。産駒は早熟性とスピード能力に優れ、
ケンタッキーの優秀な肌馬と縁遠かったにもかかわらず、2度北米リーディング2位になっている。代表産駒は、ベルモントSなどを勝った
Ruthless、モンマスオークスなどを勝ったRegardless、アラバマSを勝ったMercilessなど。母の父としても、2歳女王の
Spinawayなどを出し、優秀な成績を残した。また、
Alarmから
Himyar−
Dominoを通じて現代にも影響を及ぼしている。
近親に、オークス馬The Princess、2,000ギニーSの勝ち馬Ibrahimがいる。