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エクレールオショコラ

特徴/履歴

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1.
兎馬 04/2/16 10:11編集 [追記]
大富豪ロスチャイルド一族の分家であり、Brantomeの馬主であるEdouard de Rothschild エドゥアール・ド・ロトシールが所有する、仏国・モートリ牧場Haras de Meautryで1935年生まれました。Lucien Robert ルシアン・ロバート調教師に預けられ2・3歳と仏国で走り通算8戦5勝2着1回でした。
主な勝ち鞍は、凱旋門賞(仏G1・芝2400m)・ロワイヤルオーク賞(仏G1・芝3000m)・ヴィシー大賞典(仏G3・2000m)
父はサンクルー大賞典を勝ち、1938年の仏リーディングサイアーBubbles、母がHoney Sweet。Sans Souci3×4、St.Simon5×5×5のクロスを持つ。
Eclair Au Chocolat(エクレール・オ・ショコラ)とはチョコレートショコラ」という意味で、母名と馬体から名づけられました。伊国でNearcoがクラシックを総なめにする頃、仏国ではCillasが名を挙げていました。ジョッケクルブ賞[仏ダービー]をCillasが優勝した時、Eclair Au Chocolatは10着でした。夏になり本格化、ヴィシー大賞を制して、凱旋門賞の前哨戦ロワイヤルオーク賞では2馬身差で逃げ切りました。凱旋門賞は無敗のNearcoも仏最強古馬Victrixも引退してしまい本命がいないままEclair Au Chocolatが1番人気に推され、レースでは好位置につけたまま2着に2馬身差をつけて快勝しました。
そのまま引退し種牡馬入り、しかし歴史的背景が彼の種牡馬生活を突如終わらせたのです。
当時は世界大戦を前に世界が緊張し、ドイツのヒトラー総督がヨーロッパを震撼させ始めていました。
開戦後の1940年、ヒトラーはEclair Au ChocolatBubblesを含むロトシールの所有馬をすべて徴収してしまい、ドイツ政府所有のグラディッツ牧場Graditz Studに送られました。1944年までは生存が確認せれたものの、その後行方が分からなくなり二度とロトシールの元に戻ることはありませんでした。ソ連に送られたなど諸説はありますが、真相は未だに謎のままです。 

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