調教師: John Day
馬主: Samuel Wreford -> John Gully
生産者: Alexander Nowell
産国: 英
大柄ながら見栄えはせず、寧ろ不恰好と言われるような馬であったが、走らせてみると動きはなかなかのものだったという。
2歳から活躍し、4戦して1度出遅れて2着になった他は全勝、クライテリオンSなどを勝った。3歳時はダービーこそ着外に終わったものの、セントレジャーSなど3つのステークスを制し、2日連続出走で臨んだニューマーケットセントレジャーでも2,000ギニー馬Archibaldの2着に来るなど、世代トップの実力を見せた。翌年も現役を続けたが、これといった結果を出すことなくシーズン前半で引退した。
1834年から英で種牡馬生活に入り2年間供用。後に英2冠馬
Sir Tatton Sykesの母の父となったが、英供用中の産駒に大物は出なかった。2年後に渡米、ヴァージニア、テネシー、アラバマで供用された。あまり重用はされなかったが、1849年には
リーディングで6位タイを記録している。多くのレースを制したBlue Dick、種牡馬としても実績を残したBrown Dickなど、3マイル以下に強いスピード馬を多く輩出した。また、牝駒の子孫からは19世紀−20世紀初頭にかけて、初代KYダービー馬
Aristides、ベルモントS勝ち馬Inspector B.を始め多くの活躍馬を出している。