当時英皇太子だった
ジョージ・オーガスタス・フレデリック(後のジョージ4世王)がオーナーブリーダーでした。この馬はある事件で名を知られています。
1791年10/20,同馬はニューマーケットでの2マイル戦に鞍上はSkyscrapperでダービーSを制したことがあるSam Chifny騎手で出走、4頭立てでオッズが1−1(約2.0倍)と当然1番人気に推されました。しかし結果はGrey Diomedの4着とシンガリ。しかも大敗だったそうです。
しかし翌日、今度は4マイルのレースに出走(鞍上は変わらず)。6頭立ての4−1(約5.0倍)と人気は下がっていました。詳しい様子は記録されていませんが、かなり余裕のある勝ちっぷりだったようです。
どちらのレースでもオーナーである皇太子はかなりの額を賭けていたらしく、意図的に負けオッズを引き上げるようジョッキーと謀っておき次のレースで勝って大金を得ようとした(皇太子はかなりの浪費家で有名でした)のではないかという八百長疑惑が出ました。
Smolenskoの馬主で知られるC. バンベリー卿らが中心となっているジョッキークラブは皇太子に警告を出し、その結果皇太子はニューマーケットに足を運ぶことは2度とありませんでした。
ちなみにこの2戦がどうやら引退レースだったらしく、その後種牡馬入りしましたが、目立った産駒は残していません。