1930年、小岩井農場で生まれました。大柄な鹿毛馬で、2歳時のセリでは2万150円で取引されました。馬主の前川道平は伊勢丹の社長で、大久保房松と共にこのセリに臨んでいました。その後大久保によって調教を受けた。1933年03月25日に中山競馬場の新呼馬戦でデビュー、初勝利を挙げます。その後1戦(3着)して2戦1勝で第2回東京優駿大競走に臨んみました。レースでは直線前を行くメリーユートピアを捕え4馬身差で優勝。メリーユートピアは人気が無かったが、レース途中で
カブトヤマを抜いた際に、騎乗していた徳田伊三郎(当時では珍しい、モンキー乗りの騎手です)の姿を見て、大久保があわてて追っていった結果、最後は一騎打ちとなって勝利を得たといいいます。3着以下とは大きな差が開いていました。その後も
カブトヤマは活躍を続け、5歳時には目黒記念、帝室御賞典(福島)、阪神農林省賞典等にも優勝しました。引退後は青森県の東北牧場にて種牡馬入り、
マツミドリ、千鳥甲等の産駒を輩出します。
1951年に老衰のため死亡し、東北牧場の七戸町向平分場に埋葬されました。