通算成績11・7・6・10
主な勝ち鞍・・・菊花賞・朝日杯・京王杯・
セントライト記念・東京記念・4歳S・東京3歳S
昭和38年、同じ尾形藤吉厩舎の
メイズイとともにクラシックを沸かせた。デビューから2戦は2、3着に敗れたが、3戦目から4連勝で朝日杯まで制覇。見事最優秀(旧)3歳馬に選出された。保田騎手は「この馬でクラシックはいただき」と思っていたらしい。
後にライバルとなる
メイズイは年明け、こちらも保田騎手を乗せデビュー。デビュー戦から3戦連続圧勝を続け、評価はうなぎのぼりであった。
対して、
グレートヨルカも年明け初戦の4歳Sをキッチリ勝っていた。
そして東京記念、ついに2頭がぶつかり、保田騎手は選択を迫られる事になる。
保田騎手は悩んだ末
グレートヨルカを選んだ。レースは2強を恐れ回避馬が続出し、4頭で行われた。結果は
メイズイがゲートに頭をぶつけるというアクシデントもあり、1・1/4馬身差で
グレートヨルカが勝利。
メイズイは初の2着に敗れた。
しかしその後、
メイズイはスプリングS(4馬身差)、皐月賞(2馬身差)、ダービー(7馬身差)と圧勝を続け、
グレートヨルカは全てメイズイの2着だった。
メイズイのあまりの強さに誰もが「三冠馬誕生は間違いない」と思っていた。
しかし菊花賞で
メイズイは乱ペースで逃げ、直線で力尽き、まさかの6着に終わる。
メイズイが潰れたなら
グレートヨルカに勝てる馬はいなかった。菊花賞を見事制し、春二冠の雪辱を果たした。
春二冠ともに2着だった馬の菊花賞制覇は割と多く、
グレートヨルカ以外にも
キタノオー、
ダイコーター、
ビワハヤヒデが春の雪辱を果たしている。
菊花賞後の
グレートヨルカは21戦して3・3・5・10と精彩を欠き(菊花賞前は8・4・1・0)、本来の強さを取り戻すことなく引退した。