昔話:ゴドルフィン・アラビアン編:ゴドルフィン・アラビアンは1724年、イエメンの有名な純血アラブのジルファン系の出身。ゴドルフィン・アラビアンは当初『
シャム』という名であった。
アラビアでも滅多にいない名馬といわれ、当時の
チュニスの総督のもとに送られたが、1730年、
フランス国王ルイ15世の元に献上された。しかし、パリについた
シャムは痩せこけていて、気性が荒く乗りこなせなかったため、英国人のエドワード・コークに買われた。この経緯には謎があるが、水運びの荷馬車をしていた
シャムをみたコークの目に止まり、手に入れたという説もある。その後、ロジャー・ウィリアムスを経て第2代目ゴドルフィン伯爵に引き取られ、ゴドルフィン・アラビアンになった。当初、ゴドルフィン・アラビアンは‘あて馬’とされていたが、先輩種牡馬の
ホブゴブリンが名牝ロクサーナとの交配をいやがったため、ゴドルフィン・アラビアンと交配が成立したとも、
ホブゴブリンとロクサーナをめぐって争い、それに勝ち交配したとも言われるが、とにかくこの時に生まれた
ラスは競走馬として大活躍。1734年、
ラスと同じ配合で生まれたケードは後に
マッチェムを世に送り出した。この系統には米国の至宝、
マンノウォーや日本ダービー馬、
クライムカイザーが属している。多く残された絵画に共通している点は黒鹿毛の堂々たる馬体に逞しい首さし、鬣のゆたかさにおいて比類無いものである。その絵画から感じたことは、根幹3大種牡馬がもし競走したら、多分、ゴドルフィンが勝つと私に一瞬にして思わせたほどである。実際、ゴドルフィンは
バイアリーターク、
ダーレーアラビアンの両馬を凌駕する名馬だと言われているのも頷ける。昔、日本では『ゴドルフィン・バルブ』といわれたが、これはバルブ馬で有名な北アフリカを経由してきたための勘違いから来たものである。