1902年米国産。馬主であるJames R.Keene ジェームズ・
キーン氏が英二冠馬
Meltonの仔を受胎していた母Optimeを輸入、そしてMarcus Dalyで
Sysonbyが生まれた。
キーン氏の子息が
Sysonbyを大変気に入った為、仔馬の売却を断念しJames G.Rowe調教師に預けられた。2・3歳を米国で走り通算成績15戦14勝・3着1回
主な勝ち鞍にサラトガスペシャルS(ダ5.5F)、メトロポリタンH(ダ8F)など。
デビュー戦を6馬身差の圧勝で飾ると、中1日で出走した
ブライトンJSでJouquilに4馬身、続くフラッシュSもAugurに6馬身の快勝。重要レースであるサラトガスペシャルSに中5日で出走、3頭立てだったがここでもHot Shotに6馬身差をつけ1.07.0のタイムで優勝し約1ヶ月で4連勝。
しかし次走のフューチュリティSでArtfulから5馬身差の3着、後にこのまさかの敗戦によって、
Sysonbyは毒を盛られたのではないかと話題になったが、続く
ジュニアCSで
Wild Mintに3馬身つけて優勝し、復活の兆しを見せシーズンを終えた。
3歳初戦は約8ヶ月ぶりの実戦となったメトロポリタンH、古馬・Race Kingと同着で優勝するとタイダルSはAgileに5馬身、コモンウェルスHでもProperに4馬身と徐々に距離を長くしていっても圧勝劇は止まらなかった。中2日ながらローレンスリアライゼーションSでベルモントS馬Tanyaに5馬身差をつけ2.47.0のレコードタイムで快勝。5連勝とし、もはや
Sysonbyを止められる馬はいなく、続くイロコイSも中1週ながらMigraineを下し優勝、次週にはブライトンダービーでAgileに5馬身差、中1週でグレートリパブリックSに臨んだ。このレースには名馬
Broomstickも参戦してきたが相手にならず、2着のOiseauに3馬身差、
センチュリーSも
Broomstickを下し、中6日のアニュアルチャンピオンSは
Broomstick・Oiseauとの3頭立てのレースとなったが、やはりOiseauに4馬身つけて圧勝し9戦9勝の完璧な成績で3歳時を終えた。
休養に入り4歳も現役続行を考えていたが、1906年6月に謎の皮膚病を発症した為、安楽死処分となった。
超強行軍で数多のレースに出走、しかも全レースで1番人気に推され4連勝と10連勝。ダートの5.5F〜18F(約1100m〜3600m)と距離適正は幅広く、勝ったレースはどれも圧勝ばかりいう完璧な米国屈指のスーパーホースだった
Sysonbyは後世に血を残せなかった。