追い込みにかける脚質と、そのサクセスストーリーから、根強い人気を博した馬。
父は、2勝馬で1580ドルしか稼ぎ出せず、種牡馬になれたのが不思議な程の馬で、この馬もデビュー当初は、1500ドルのクレーミングレースで見所無く惨敗するような馬であった。
勝ち上がりに15戦を要し、2・3歳時に57戦も使われたが、ステークスは一つも勝つことが出来なかった。
4歳以降に本格化し、時のチャンピオンホース達と数多くの好勝負を繰り広げ、
Devil Diver、3冠馬
Assaultのハンディキャップ3冠を阻み、別定戦では1頭立てを経験する馬にまでなった。1945年には古馬チャンピオンにも輝いている。12fよりも長い距離を最も得意とし、道悪も苦にしなかった。8歳まで走り、種子骨骨折がもとで引退、種牡馬入りした。収得賞金は1951年に
Citationに抜かれるまで、世界記録だった。通算131戦35勝2着33回、主な勝ち鞍はブルックリンH、メトロポリタンH、グレイラグH、
マンハッタンH、
ニューヨークH、マサチューセッツHなど。
産駒からは何頭かのステークスウィナーを出している。