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[ セプター/Sceptre(牝・1899年生れ・英国産)- 参加型登録馬データ ]



Profile
馬名 [外] セプター
英字 Sceptre
性別  牝
馬齢  126
生年 1899
毛色 鹿毛
産国 英
Persimmon
Ornament
母父 Bend Or


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特徴/履歴
1.
[2] 同馬が生まれた年に初代ウエストミンスター公が亡くなり、第2代公とのセリに勝ったのがR.シービアという人でした。
彼は預託先のC.ノートン師と仲違いして同馬が追い出された後、なんと経験もないまま自ら調教師としてレースに出走させました。1000ギニーSの時は蹄鉄が壊れてしまったにもかかわらず装蹄師がいなかったため、人間でいうところのはだしでターフを駆け抜けたことになりますが、それも問題にせず勝ちました。が、ダービーSではイレ込みや騎乗ミスなどでArd Patrickの4着に敗れました。けっきょくこの年(1902年)の6月は1ヶ月で5走したことになります。
翌年のことですが、シービアは同馬に全財産をかけた結果、破産して手放さざるを得なくなってしまいました。W.バス卿のもとにシービアが買い取った2.5倍の25000ギニーで売却されました。
この年はRock Sandが3冠を達成しますが、Ard Patrickを加えた3頭が一斉に集まるエクリプスSは非常に話題を集めました。直線では3頭の叩き合いとなりSceptreRock SandをとらえますがArd Patrickに交わされ再び敗れ...(続く)
// イギリス貴族(帰省中) 06/8/5 07:22  
1.
[1] 父はSt.Simonの最良の後継、母は19世紀英国最高のサラブレッドと言われるOrmondeの全妹という、当時英国随一の良血で、当歳としては当時最高額の10000ギニーで落札された。
Sceptreを落札した最初のオーナーは、彼女を金を獲ってくる道具と見なし、扱いは一流馬のそれでは無かった。結果、英国のクラシック5競走全てに出走し、4勝を上げるという記録を作ったわけだが、1年でボロボロになり、翌年別のオーナーの元へ移った時、調教師はSceptreの姿をみて愕然としたという。その後半年近く、レースを使う事もできなかった。
回復したSceptreは、エクリプスSこそ2着に敗れたが、4歳時を7戦5勝で終えた。翌年は大レースで好走するものの勝ち切れずに、3戦して引退となった。通算25戦13勝2着5回、主な勝ち鞍は、他にセントジェームズパレスS、ハードウィックS、ジョッキークラブS、チャンピオンS。
産駒は8頭いるが、1000ギニー2着馬がいる程度で、競走成績はパッとしないものだった。しかし、その子孫からはCraig An EranBuchanSt.GermansNoorPensiveRed B...(続く)
// mazuda 02/12/22 00:38  
1.
1902年に史上唯一の英四冠を達成、クラシックのうち英ダービーだけ取りこぼしている。
古馬になっても1つ下の三冠馬ロックサンドを破るなどかなりの活躍を見せた。間違いなく最強牝馬の一頭である。
// GE 02/11/30 19:35  
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1.
GE 02/11/30 19:35 [追記]
1902年に史上唯一の英四冠を達成、クラシックのうち英ダービーだけ取りこぼしている。
古馬になっても1つ下の三冠馬ロックサンドを破るなどかなりの活躍を見せた。間違いなく最強牝馬の一頭である。
[1].
mazuda 02/12/23 23:38編集 [追記]
父はSt.Simonの最良の後継、母は19世紀英国最高のサラブレッドと言われるOrmondeの全妹という、当時英国随一の良血で、当歳としては当時最高額の10000ギニーで落札された。
Sceptreを落札した最初のオーナーは、彼女を金を獲ってくる道具と見なし、扱いは一流馬のそれでは無かった。結果、英国のクラシック5競走全てに出走し、4勝を上げるという記録を作ったわけだが、1年でボロボロになり、翌年別のオーナーの元へ移った時、調教師はSceptreの姿をみて愕然としたという。その後半年近く、レースを使う事もできなかった。
回復したSceptreは、エクリプスSこそ2着に敗れたが、4歳時を7戦5勝で終えた。翌年は大レースで好走するものの勝ち切れずに、3戦して引退となった。通算25戦13勝2着5回、主な勝ち鞍は、他にセントジェームズパレスS、ハードウィックS、ジョッキークラブS、チャンピオンS。
産駒は8頭いるが、1000ギニー2着馬がいる程度で、競走成績はパッとしないものだった。しかし、その子孫からはCraig An EranBuchanSt.GermansNoorPensiveRed Bulletなどが出ている。
食事に非常にうるさく、満足させるのに苦労した、とか、ブラジルへ売られそうになった時に、ファンの嘆願によって回避された、等のエピソードも残っている。

#ちなみに、1868年にFormosa(父:Buccaneer、母:Eller、母の父:Chanticleer)が、2000ギニーは同着ですが、ダービーを除く4冠を勝っているそうです。
[2].
イギリス貴族(帰省中) 06/8/5 07:22 [追記]
同馬が生まれた年に初代ウエストミンスター公が亡くなり、第2代公とのセリに勝ったのがR.シービアという人でした。
彼は預託先のC.ノートン師と仲違いして同馬が追い出された後、なんと経験もないまま自ら調教師としてレースに出走させました。1000ギニーSの時は蹄鉄が壊れてしまったにもかかわらず装蹄師がいなかったため、人間でいうところのはだしでターフを駆け抜けたことになりますが、それも問題にせず勝ちました。が、ダービーSではイレ込みや騎乗ミスなどでArd Patrickの4着に敗れました。けっきょくこの年(1902年)の6月は1ヶ月で5走したことになります。
翌年のことですが、シービアは同馬に全財産をかけた結果、破産して手放さざるを得なくなってしまいました。W.バス卿のもとにシービアが買い取った2.5倍の25000ギニーで売却されました。
この年はRock Sandが3冠を達成しますが、Ard Patrickを加えた3頭が一斉に集まるエクリプスSは非常に話題を集めました。直線では3頭の叩き合いとなりSceptreRock SandをとらえますがArd Patrickに交わされ再び敗れてしまいました。ただRock Sandに対してはジョッキークラブSで勝つなど敗れてはいません。
牝馬でありながら16.5ハンドという男勝りの高さだったそうです。
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