2歳時に2戦を消化し1勝をあげたが、その後ハ行を起こし、更に両前足が腫れ上がり、2年近くの休養を余儀なくされ、この間南アフリカで過ごしている。
4歳になってようやく復帰し、ダルハムプレート、ロイヤルハントC、プリンセスオヴウェールズSに勝利した。
ドンカスターC3着後に再びハ行を起こし、引退。通算7戦4勝2着1回。
イギリス、ドイツで種牡馬として過ごし、イギリス時代には、名ステイヤーで、ステイヤーの父としても優れているSon-in-Lawや、豪に渡りコーフィールドCを勝ち、リーディングサイアーにもなったMagpieらを出した。
ドイツでの活躍はより目覚しく、1918年から5年連続
リーディングに輝いている。代表産駒は、ヘンケルレネン・独セントレジャー勝ち馬で、5度の独
リーディングとなり、
Oleanderを出した
Prunus、独ダービー馬で、2度独
リーディングをとり、
Alchimistを出した
Herold、1930年独
リーディングのWallenstein等である。