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1991年4月22日、UAEのSheikh Mohammed Bin Rashid Al Maktoum シェイク・モハメド(・ヴィン・ラシッド・アル・マクトゥーム)殿下の生産馬として英国に生まれる。馬主は勿論、殿下率いる世界一のGodolphin ゴドルフィンで調教師は名伯楽John M.Oxx師とゴドルフィン専属調教師Saeed Bin Suroor サイード・ビン・スルール師。 3〜5歳まで英愛香港日UAEで走り通算成績17戦6勝・2着3回・3着1回 主な勝ち鞍は安田記念(日G1・芝1600m)、京王杯スプリングC(日G2)、コンコルドS(愛G3)。 父は大種牡馬Nureyev、母My Darling OneはファンタジーS勝ちのほかケンタッキーオークス3着がありNative Dancerの4×4とNasrullahの5×5のクロスを持つ超良血馬。 3歳の5月と遅いデビュー戦を迎え快勝、2着・1着としてG3・クリテリオンSではHill Hopperの4着、続くコンコルドSでUnusual Heatを破り初重賞制覇となった。しかしデズモンドSでは1位入線するも失格となり、シーズンの最後は香港の香港国際ボウルをSoviet Lineの3着で迎えた。 ドバイで休養し4歳初戦はナドアルシバで圧勝、日本のマイル王へ向け来日1戦目の京王杯スプリングCで武豊騎手を鞍上にDumaaniの5着、4番人気で安田記念に挑むとゴール前でサクラチトセオーを鼻差下して1.33.2のタイムで優勝、G1初制覇とした。連勝を目指して渡英、ジュライCに臨むもLake Conistonのシンガリ負けを喫し休養に入った。 5歳初戦もドバイから始動、ジュライCから60キロ前後の重ハンデを背負い続け、2・2・4着と勝てない日々が続いた。 安田記念の連覇をかけ来日、京王杯スプリングCでタイキブリザードを破ると本番では2番人気に支持されたがトロットサンダーの12着と惨敗した。そして引退レースとなったサセックスSでは最低人気のままFirst Islandの9着に敗れた。 日本の馬場への適正を見込まれ1997年から社台スタリオンステーションで種牡馬入りするもシャトル先の豪国で1999年10月に死亡してしまい、残した産駒は...(続く)
// 兎馬
04/6/26 10:39
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