大井競馬場でデビューし、無傷の6連勝をマーク。翌年中央競馬に殴り込みをかけた。
転入初戦の弥生賞を勝つと、スプリングS・皐月賞と連勝。いつもより手応えが悪く「
ハイセイコー、ピンチ!」と思われたNHK杯では、残り1Fからの驚異的な爆発力で差し切って10連勝を達成。
続くダービーでは単勝1倍台の断然人気に押され、死角もなく、「11連勝は確実」と思われていた。が、
タケホープ、それに
イチフジイサミにも差し切られての3着。連勝が止まった。
結局この年はその後、京都新聞杯2着・菊花賞2着・有馬記念3着と一つも勝てず(すべて1番人気)。特に菊花賞では
タケホープとの叩き合いの末、ハナ差で敗れた。
翌年は距離の限界が露呈したか、中山記念(1800m)・高松宮杯(2000m)・宝塚記念(2200m)と中距離で3勝したものの、京都大賞典(2400m)では4着、AJCC(2400m)では9着、春の天皇賞(3200m)では6着に敗れた。
しかしラストランとなった有馬記念(2500m)では2着に好走。アイドルホースたる由縁である。
代表産駒としては、
カツラノハイセイコ(‘79ダービー、‘81天皇賞・春)、
サンドピアリス(‘89エリザベス女王杯)、
ハクタイセイ(‘90皐月賞)である。