1931年3月24日、Dan Sullivan ダン・サリヴァン氏の生産馬として英国に生まれ、馬主になるインドのマハラジャ(王様)His Highness Maharajah of Rajpipla ラジピプラ殿下のためにMarcus Marsh マーカス・マーシュ調教師が1300ギニーで落札した。2〜4歳の間、英国で走り通算成績13戦10勝・3着1回。
主な勝ち鞍にクリテリオンS(芝7F)、チェスターヴァーズ(芝12F)、英ダービー(芝12F)、英セントレジャー(芝14F127Y)、
コロネーションC(芝12F)、
エクリプスS(芝10F)
父は大種牡馬
Blandford、母Resplendentは愛1000ギニー・愛オークスを勝ち
St.Simonの5×5×5と
Galliardの5×5のクロスを持つ。全妹のRadiantは英オークス2着馬という良血馬。
しかし
Windsor Ladは幼少時、骨格がゴツゴツと見栄えが悪かった為当歳のセリ市で低価格で売却された。2歳でデビューするも着外・4着・ハナ差の初勝利と三流馬並みの成績でシーズンを終えた。
3歳になり格段の成長を見せ、2戦目の英ダービー前哨戦であるニューマーケットSで
Flamencoに1馬身差つけて勝利した。世界最高峰のクラシックレース・英ダービーでは、無敗で9連勝中の英2000ギニー馬
Colomboが大本命となった。
Colomboが2番手、2番人気の
Windsor Ladと
Eastonが中団につけ後方が
Umidwarと位置取ると前方がゴタゴタしている間に抜け出した
Windsor Ladがそのまま加速し、2:34.0のタイムで栄冠を掴んだ。
続く
エクリプスSで圧倒的1番人気になるも道中で身動きが取れず、
King Salmonの3着と波乱の結末にラジピプラ殿下は落胆し破格の値段で、Martin Benson
マーティン・ベンソン氏に売却したが、次走の英セントレジャーで1番人気に支持され前走の汚名を払拭するかのように
Tiberiusに2馬身つけて楽勝した。
4歳でも現役を続け、バーウェルSを楽勝すると体調不良のまま
コロネーションCに出走、
Eastonを軽く突き放し1馬身半差の完勝。1戦挟んだ
エクリプスSでは、残り2Fで先頭に立つも違和感のあった前脚を痛め下がり始めたが、脅威の精神力で今一度
Fair Trialを突き放し
Theftにも交させず去年の借りを返した。
Windsor Ladの脚は限界を迎え結局引退となり、1936年に種牡馬入りした。その血を受け継ぎ
Windsor Slipper(愛ダービー、愛セントレジャー、愛2000ギニー)を出すも、重度の蓄膿症が原因で1943年12月13日に死亡した。