現役時代は栗東の坂口正大厩舎に所属し通算成績27戦6勝。主な勝ち鞍は高松宮記念(GI)、中山記念(GII)、東京新聞杯(GIII)、東京スポーツ杯3歳S(GIII)。デビュー戦を制して臨んだ黄菊賞でシンガリ一気の末脚を見せ一躍クラシック候補に。続く東京スポーツ杯3歳S(当時)も
マイネルラヴ以下を完封した。しかしラジオたんぱ杯3歳S(当時)は直線で前が詰まる不利もあり
ロードアックスの2着。年明け緒戦の弥生賞は動くが悪く大きく離された3着と人気を裏切った。皐月賞は
セイウンスカイを追い詰め2着。東京コースでの良績もあり、ダービーでの期待も高まった。しかしダービー初騎乗の福永祐一騎手、思いきった騎乗なのかはわからないがデビュー以来はじめての逃げをこの舞台で選択。結果は勝った
スペシャルウィークから2.6秒差の14着と惨敗し、福永騎手の騎乗ぶりに批判が相次いだ。秋緒戦の神戸新聞杯は岡部騎手が手綱を取ったが、引っかかるくせが出て3着。京都新聞杯から福永騎手に手綱が戻り
スペシャルウィークとクビ差の2着。その後菊花賞、有馬記念と善戦した。
年が明けた緒戦は東京新聞杯。このレースから柴田善臣騎手に乗り替わった。中山記念と連勝するも安田記念は11着。宝塚記念も8着。秋は毎日王冠で5着、天皇賞7着のあと再び短距離路線へ。柴田騎手の
ザカリヤの騎乗が決まっていたため福永騎手に手綱が戻ったマイルCSは
エアジハードの2着。その後、有馬記念、東京大賞典など選択肢があったが陣営はスプリンターズSを選択。デビュー2戦目の黄菊賞のような追い込みを見せたが僅かに届かず3着。年が明け、初ダートとなったフェブラリーS。
ゴールドティアラ、
ウイングアローなどといったダートの強豪を抑えて1番人気に推されるも、砂をもろにかぶって嫌がり13着と大敗。続く高松宮記念で大外強襲。GI11度目の挑戦で悲願達成であった。その後は勝利から見放され、同年の有馬記念4着を最後に引退、種牡馬入りした。
クラシック路線で活躍したこともあり、距離適正に関しては様々な意見があるが、実は2000m以上の距離で勝ったことがない。