ブラッドホース誌が選出した20世紀米名馬100選で、第45位。牝馬では悲劇のヒロイン
Ruffian、同期で当時の米牝馬賞金女王
Busherに次ぐ第3位。
通算成績は21-20-13-18。成績では
Ruffian(10-0-0-1)や
Busher(15-3-1-2)ほどではないが、
Polynesian、
Stymieをやぶるなど一流牡馬相手にも一歩引かず、さらに2〜6歳まで息の長い活躍を続けたタフさから人気があったようだ。
エンパイヤシティS・ピムリコオークス・エイコーンS・デラウェアオークス・ベルデイムH・ブルックリンH・メトロポリタンH・ベイショアH・クインズカウンティH・カーターH・ホイットニーS・ウイルソンS(連覇)などを勝ち、$445,535の賞金を挙げ、同期の
Busherの米牝馬賞金記録を塗り替えた。
繁殖牝馬としては1949年から1959年まで供用されたが、直仔では大した活躍馬は出なかった。
しかし孫、ひ孫と代を経るごとに活躍馬が出始め、子孫にはBCジュヴェナイル馬
Success Express、シャンペンS馬Greenwood Lake、クイーンエリザベスII世S馬
Air Express、朝日杯馬マツフジエース、愛セントレジャー馬White Gloves、チェヴァリーパークS馬Minstrella・
Misty Gallore姉妹、
Dancing Moss、Charlie Barleyなどがいる。
1959年に供用先の米ヴァージニア州で死亡している。