祖父
Domino同様飛節の肥大(びっこの原因になり得る)が見られ、生まれた当初は期待をかけられていなかった。
Colinという名前は、調教師の名前に掛けて、詩人ニコラス・ロウの"Poor Colin"から付けられたもの。
2歳にして、5fのコースレコード、7fの米レコードをマークする程のスピードの持ち主で、2歳時12戦全勝、年度代表馬にも輝いた。
3歳では緒戦を楽勝。Kダービー、
プリークネスSはパスしたが、ベルモントSには、レース数週間前に負った怪我を押して出走、濃霧の中ゴール板を間違えるアクシデントも有りながら、
Fair Playをねじ伏せた。3歳時も3戦のみではあったが、3歳チャンピオンと年度代表馬をものにしている。
後に英国へ遠征を試みるが、脚の状態が悪化し、レースを迎えずに引退を余儀なくされた。主な勝ち鞍は他にサラトガスペシャル、フューチュリティS、シャンペンS、メイトロンS、ウィザーズSなど。
当初は英国で種牡馬を務めていた。受精能力の問題から、オーナーの死後は値下げ−転売が繰り返された。それでも、数少ない産駒のうち11頭がステークスウィナーとなった。代表産駒は17勝を上げた
Jock、
Neddie、
On Watch。
Neddieからは
Alsab、
Ack Ackを通じて今もサイアーラインが続く。