翌年(00年)の初戦となった34戦目のアメリカジョッキーズクラブCではメンバーも手薄で、1番人気に推されるが、
マチカネキンノホシに惜しくも敗れて2着、その後は京都記念3着、日経賞2着、天皇賞(春)4着とこの3レースで前年より着順を上げた。
そしてこの馬にとって記念すべきレースとなった38戦目の目黒記念。97年11月のゴールデンホイップT2着以来に武豊騎手とコンビを組み、見事1番人気に応えて重賞初勝利。最後の直線ではG1並みの盛り上がりとなった。
その後は結局あまり成績が良いわけでもなかったが、前3年のような2桁着順が1度もなく、全体的に見れば成績が安定していたように思える。
(00年ダービー馬は
アグネスフライト、有馬記念馬は
テイエムオペラオー)
そして翌年(01)年の初戦は44戦目となったハンデG2の日経新春杯。既に58キロの斤量でG2を勝ち、G1で何度も好走している
ステイゴールドには、58,5キロのハンデが課せられ、その影響で5番人気と評価を下げた。
しかし、やはり実力は違っていた。人気が上だった
ロサード、
サンエムエックス、
ヤマニンリスペクト、
シルヴァコクピットを下し見事勝利。「もうイマイチ馬とは言わせない」と言わしめる勝利だった。
3月24日、挑戦したのはドバイで行われるドバイシーマクラシックだったが、なんと前年のジャパンCでは
テイエムオペラオー、
メイショウドトウと差のない3着にもなり評価の高かった
ファンタスティックライトとの叩き合いを見事制して勝利。これで
ステイゴールドの評価はさらに高まった。
その後出走した宝塚記念では4着。ちなみにこれで宝塚記念は4回挑戦して全て入着したレースになった。
秋の復帰戦・京都大賞典では
テイエムオペラオーの追撃を振り切り勝利・・・・・・かと思われたが、最後の直線で斜行し
ナリタトップロードの進路を妨害、騎手を落馬させてしまい、結局失格となってしまった。
その後天皇賞(秋)では7着に敗れるも、G1でたくさんの好走を重ねてきた
ステイゴールドにしては今まで3回挑戦しながら1度も入着が無かったジャパンCでは4回目の挑戦で4着と初入着となった。