1991年3月4日、馬主であるM.Arbibの生産で米国に生まれ
Generousを管理したPaul F.I.Cole調教師に預けられ3〜9歳まで世界中(英・仏・独・米・伊・日・香港)で走り通算成績34戦6勝・2着5回・3着5回、主戦はクイン騎手。
主な勝ち鞍は愛セントレジャー(愛G1・芝14F)、ミラノ大賞(伊G1・芝2400m)、ドーヴィル大賞(仏G2)、ジョンポーターS(英G3)など。
父
Allegedは凱旋門賞2連覇を含み連対率100%の名馬、母
Danluで
Tom Rolfeの3×3のクロスを持つ。
3歳でデビューし未勝利を勝ったまま仏ダービーに挑戦14番人気ながらCeltic Armsの5着に入る。3戦し7・2・2着と1勝で終える。
4歳に入り初戦のジョンポーターSでBroadway Flyerを首差抑えて重賞初勝利し、続くミラノ大賞では
Landoの3着と勢いに乗りKジョージ6世&QエリザベスSに挑戦し
Lammtarraの3着、渡独しバーデン大賞に出走するもGermanyから25馬身離された9着と完敗したが、愛セントレジャーでは重いハンデを背負うも3番人気を覆し混戦の中
Moonaxを頭差抑えて3.00.9のタイムでG1初制覇。凱旋門賞に向かったが、
Lammtarraから28馬身離され14着と大敗し、6戦2勝でシーズンを終える。
5歳初戦は人気に応えられずClassic Clicheの2着、去年3着のミラノ大賞では2.27.2のタイムで
Lusoを下し優勝、しかしK
ジョージは
Pentireから28馬身遅れたシンガリ負けを喫した。ドーヴィル大賞はTaratorを首差退け辛勝、次走が離された3着でジャパンCの為、来日し10番人気ながら
Singspielの3着に入った。
6歳はピークが過ぎ始めガネー賞で
Helissioから14馬身離された5着、連覇を狙ったミラノ大賞典はShantouの4着、K
ジョージは
Swainから14馬身で6着、次走はシンガリで続くオープン戦で久々の勝利、カナディアン国際Sに出走しChief Bearheartの4着だった。
7歳に入り、さすがに体力も落ちてきたのか初戦こそ2着に入るものの4・3・6・5・14着と勝てなくなる。
8歳になっても現役を続ける
Strategic Choiceは、既に能力的にも衰えてオープン馬となっていた。レースに出ても人気は最低で着順も1着馬から大きく離されたシンガリだった。
それでも、9歳になりオールドニュータウンCに出走し10着、レイテドSで7着に終わり遂に引退した。