「無事是名馬」という言葉がありますが、この馬は意外にも現役時に病との戦いを強いられてきました。
まず4月デビューから2戦後に屈腱炎を発症。幸いにも症状は軽く8月に復帰しています(16,23,30日と3連闘&3連勝)。
3歳時の1953年には
トムフールが40年ぶり史上2頭目のハンデ3冠(メトロポリタンH、サバーバンH、ブルックリンH)を達成し、両頭の対決が期待されました。その舞台としてベルモントパークでの
サイソンビーHが予定され、日程も予定から変更され、さらに賞金が2万ドルから5万ドルに引き上げられるほどでした。しかし
ネイティヴダンサーは左前脚に挫傷を患ってしまい結局回避となりました。ちなみに年度代表馬はこのレースにも勝って10戦負けなしの
トムフールで、ケガによる回避が影響した結果となりました。
古馬になって
トムフールと同じくハンデ3冠を目指しますが、2冠目のサバーバンHを前にして今度は右前脚にソエを発症、休養せざるを得なくなりました。
休養後のオネオンタH(あまりの人気のためエキシビジョンレースとなって馬券は発売されず)を勝った後、目標は海を越えての凱旋門賞となりました。しかし、レース後にソエを再発していたことが判明し、引退となりました。
生涯最後に患ったのが疝痛で、このときには芦毛の馬体が真っ白だったそうです。