通算成績55戦27勝(27.10.3.15)
1981年にカナダ最優秀3歳牡馬。ちなみに年度代表馬は2歳馬の
Deputy Ministerだった。
翌年にカナダ年度代表馬、 最優秀古馬、最優秀芝馬。
主な成績
80年
ウィニペグフューチュリティ、カップアンドソーサーS、コロネーションフューチュリティ2着、
81年
カナディアンダービー、カーネルRSマクラフリンH、トロントカップH、
アチーブメントH、
バンティロウレスS、プレートトライアルS、クイーンストンS
82年
ナショナルジョッキークラブH、コンノートカップS、
エクリプスH、
ボールドヴェンチャーH、
バンティロウレスS(連覇)、
カナディアンマチュリティS、ジャックカルティエS、ジョッキークラブカップH
富士S(ジャパンカップ指定オープン)1着、ジャパンカップ2着
83年
ドミニオンデイS、
エクリプスH(連覇)、スピードトゥスペアS
ホスピタリティに先着した唯一の馬であり、そして第一回ジャパンカップでは
メアジードーツの2着と日本でも活躍した。翌年もジャパンカップに参戦したが10着。
1983年に足首が原因で引退した。通算ステークス勝利が21回と抜群の成績を残し、引退時には
サニーズヘイローに次いで獲得賞金2位になった。そして1986年には
サニーズヘイローとともにカナダ殿堂馬となった。