1901年、馬主兼生産者のEustace Loder ユースタス・ローダーによって愛国で生まれた。Peter Gilpin ピーター・ギルピン師に預けられ2〜5歳までの間、英・仏で走り通算成績24戦22勝・2着2回、連対率100%という成績を残した。
主な勝ち鞍は英1000ギニー(芝8F)、英オークス(芝12F10Y)、英セントレジャー(芝15F)、
コロネーションC(芝12F10Y)、英チャンピオンS(芝10F)、シャンペンS(芝7F)、ジョッキークラブC(芝19F)。
父は
Gallinuleで母は2勝馬
Admiration、
Stockwellの4×5×5のクロスを持ち甥に愛ダービー馬King Johnがいる。
Pretty Pollyのデビュー戦は衝撃的だった。抜群のスタートを切り、そのまま2着との差が100mと圧勝。その後も楽に勝ちつづけミドルパークSでは後の英ダービー馬St.Amantを破り9戦9勝でシーズンを終えた。
3歳初戦の英1000ギニーをレコードで快勝すると英オークスでは4頭立てとなり楽勝、牝馬二冠を達成。2連勝で英セントレジャーに向かうとこのレースには牡馬二冠馬
St. Amantも出走してきて三冠馬誕生に最も近い歴史的な一戦となるも、直線で楽に先頭を奪った
Pretty Pollyのレコード勝ち、無敗のまま三冠馬となった2日後には早くも次のレースを馬なりで勝つという無敵の
ヒロインに国内で敵はいなかった。
しかし渡仏するとレースの数時間前に到着、そんな最悪な条件の下
Pretty Pollyは初めてPrestoの2着と敗れたが帰国し
St. Amantを再度下して調子を戻した。
4歳になり
コロネーションCをレコードで連覇すると、英チャンピオンS、ジョッキークラブGCを含む4戦4勝。
5歳も現役を続け
コロネーションCを3連覇し全く力の衰えが無かった
Pretty Pollyも引退レースを迎えた。アスコットゴールドC、もちろん1番人気に推されたが有終の美を見届けようと集まった観客の目の前で
Pretty Pollyは失速し、Bachelor's Buttonの2着と生涯2度目にして最後の敗戦を喫した。
20世紀初頭に活躍し負ける場面が想像できない「史上最強牝馬・伝説の怪物牝馬」と呼ばれた
Pretty Pollyは24戦22勝で引退。
繁殖入りしてから直仔には恵まれず1931年8月17日死亡したが、孫が大活躍し
Spike Island(愛ダービー、愛2000ギニー)、Zodiac(愛ダービー)、Spelthorne(愛セントレジャー)、
Arabella(英シャンペンS)などを輩出した母系は今も発展を続けている。